2010年 02月 17日
黒鍋、豚、ほうれんそう。 |
先日、「土楽窯の黒鍋」で食べる常夜鍋の会に参加してきました。
この会は私の“念願の”という思いが、たくさん詰まった会でした。
まずは「黒鍋」。
ある日、雑誌で白洲次郎さんの孫にあたる白洲信哉さんが、土楽窯の黒鍋を紹介しているのが目に留まりました。
白洲次郎さんは、日本という国が誕生してから今までの中で、私が最も男前だと思う人です。
アメリカ人が舌を巻くような英国仕込の「クイーンズイングリッシュ」を操り、マッカーサーにたて突いたりと、占領軍からは「従順ならざる唯一の日本人」と言われていました。
その白洲次郎さんが最後の晩餐に食べたのが、黒鍋で焼いた伊賀牛のステーキだったそうです。
妻の白洲正子さんの最後の晩餐も、黒鍋のすっぽん鍋だったそうなのです。
白洲夫妻のような生活が出来るとは思ってませんが、「この鍋で焼いた肉を食べたい・・・」と密かに思っていたら、なんとなんと!!
“念願の”黒鍋で常夜鍋をするというではありませんか!
鍋の前に、まずは豚肉を焼いていただきました。
お肉はリバーワイルドさんの”柿豚”です。
おいしーーいお肉でした。
“ジュワー”とお肉が焼ける音を聞いたとき、ほんの少し白洲次郎さんに近づけました。
もうひとつの念願。
馬場農園の馬場さんに初めてお会いできたこと。
主人の母方の故郷が小林市なのですが、小林に行くたびに「馬場農園ってどこやろうねー」と言っていました。
私の「人生最大のごぼう」も「人生最大のにんじん」も、全て馬場農園さんのものでした。(←いつも10kg単位でやって来るし・・・)
まだ野菜ソムリエの学校に行ってたころのこと。
「宮崎の小林市には糖度11度のほうれん草を育ててる農家があるよ」と学校の先生が言っていました。
授業の内容はあまり覚えてないのですが(えっ!?)、この言葉だけは忘れませんでした。
名前までは言われなかったのですが、ベジキッチンでお手伝いするようになってから、あの農家さんは絶対に馬場さんのことだと思いました。
常夜鍋になる直前の姿。
自分でも驚きましたが、常夜鍋は全く撮影してませんでした。
撮影を忘れるくらいみんなでがっついてしまいました。
いつもと違う場所でのレッスン、ありえないくらいの量の豚肉とほうれんそうで、お腹いっぱいでした。
この会は私の“念願の”という思いが、たくさん詰まった会でした。
まずは「黒鍋」。
ある日、雑誌で白洲次郎さんの孫にあたる白洲信哉さんが、土楽窯の黒鍋を紹介しているのが目に留まりました。
白洲次郎さんは、日本という国が誕生してから今までの中で、私が最も男前だと思う人です。
アメリカ人が舌を巻くような英国仕込の「クイーンズイングリッシュ」を操り、マッカーサーにたて突いたりと、占領軍からは「従順ならざる唯一の日本人」と言われていました。
その白洲次郎さんが最後の晩餐に食べたのが、黒鍋で焼いた伊賀牛のステーキだったそうです。
妻の白洲正子さんの最後の晩餐も、黒鍋のすっぽん鍋だったそうなのです。
白洲夫妻のような生活が出来るとは思ってませんが、「この鍋で焼いた肉を食べたい・・・」と密かに思っていたら、なんとなんと!!
“念願の”黒鍋で常夜鍋をするというではありませんか!
鍋の前に、まずは豚肉を焼いていただきました。
お肉はリバーワイルドさんの”柿豚”です。
おいしーーいお肉でした。
“ジュワー”とお肉が焼ける音を聞いたとき、ほんの少し白洲次郎さんに近づけました。
もうひとつの念願。
馬場農園の馬場さんに初めてお会いできたこと。
主人の母方の故郷が小林市なのですが、小林に行くたびに「馬場農園ってどこやろうねー」と言っていました。
私の「人生最大のごぼう」も「人生最大のにんじん」も、全て馬場農園さんのものでした。(←いつも10kg単位でやって来るし・・・)
まだ野菜ソムリエの学校に行ってたころのこと。
「宮崎の小林市には糖度11度のほうれん草を育ててる農家があるよ」と学校の先生が言っていました。
授業の内容はあまり覚えてないのですが(えっ!?)、この言葉だけは忘れませんでした。
名前までは言われなかったのですが、ベジキッチンでお手伝いするようになってから、あの農家さんは絶対に馬場さんのことだと思いました。
常夜鍋になる直前の姿。
自分でも驚きましたが、常夜鍋は全く撮影してませんでした。
撮影を忘れるくらいみんなでがっついてしまいました。
いつもと違う場所でのレッスン、ありえないくらいの量の豚肉とほうれんそうで、お腹いっぱいでした。
by M-Mriver
| 2010-02-17 22:15
| 日常